一日一本映画レビュー 『孤狼の血 LEVEL2』
『孤狼の血 LEVEL2』
原題:孤狼の血 LEVEL2
公開:2021
監督:白石和彌
血みどろの青春
以下感想。
ネタバレあり
【東映発のハードボイルド映画の続編】
『孤狼の血 LEVEL2』が公開された。
『孤狼の血』といえば、3年ほど前に公開された、ヤクザVS警察のハードボイルドな映画。
あの『仁義なき戦い』の東映が送るバイオレンスエンターテインメント。監督はハードな描写と泥臭い人間描写で人気を博している白石和彌。白石監督の映画といえば、『世界で一番悪いヤツら』や『凶悪』、個人的に大好きな『凪待ち』などがある。
彼の映画の多くは暴力の匂いが満ちており、特に『凶悪』なんかは、人をおもちゃのように殺す殺人犯の姿を生々しく嫌悪感たっぷりに、しかしどこかエンタメ的に描く剛腕を見せつけている。
『孤狼の血』は、東映のザッパーーン!!の印象的な映像から、開幕いきなり豚小屋でリンチしているシーンから始まり、豚のフンを食わせ、枝切りばさみで指をぶった切るところから始まる。しかもそれをやっているのが竹野内豊。
まあこれはどうもぬるい映画じゃなさそうやなと腰を据えてみたら、その圧倒的な熱量にノックアウトされた。初めて見たときに映画館で観なかったことをすごく公開したし、しばらく頭から離れないくらい大好きな映画になった。
役所広司は日本の俳優で一番好きな俳優になったし、松坂桃李も2,3番目に好きな俳優となった。
そんな『孤狼の血』(いちいち、こどく→おおかみのち と打たなくてはならなくてとても面倒)の続編が公開されるのだから、期待しないわけがない。
しかし、個人的には少し続編に対して、素直に期待できない部分もあった。
というのも、圧倒的なカリスマ性を放つ役所広司の不在、西野七瀬の不安な器用、どちらかというとアクション的な舵取りをにおわせる予告編、謎の入場特典トレーディングカード。
果たして、硬派なヤクザVS警察の映画が観れるのか・・・
一抹の器具とともに、俺は映画館へと向かった。
【映画館にて】
行ったのはレイトショー、基本俺はレイトショーで映画を観る、理由は人がとても少ないし安いから。
やはり高校生や子供が多いとどうしても騒音が気になるので(こればっかりは仕方ないけど)、人の少ないレイトショーはとても心地がいい。終わった後に外は真っ暗で従業員もほとんどいない感じはとても孤独やけどね。
まあ、映画の内容がバイオレンスやしそもそもR15なので映画館にはほとんど人がおらず、いても仕事帰りのサラリーマンらしきおじさんが数人いるだけやった。
入場すると、松坂桃李の絵葉書とトレカ数枚をもらった。このおじさんたちとトレーディングせえいうんかい!
興味の無かった入場得点とはいえ、いざもらえると妙にうれしい。入場特典システム、大人向け映画でもありやと思います。
中身は西野七瀬を含む数枚。めちゃくちゃ端役が2枚入ってた。
人が少ないし、そもそもR15でバイオレンスマシマシな映画やから、割と始まるまでドキドキ。慣れてきたとはいえ、やっぱりグロいシーンはいつまでたっても怖いね。
【この熱量は…どうだ?】
映画の感想やねんけど、決して悪くはなかった。
バイオレンスのパワーは上がっていたし、脚本のテンポもよい。少なくとも、140分間の長い映画ながら一切トイレに行きたくならなかったし、(そばかすの姫は途中でトイレに行ってしまった)退屈は特に感じなかった。
しかし・・・
これはどうなの?果たして『孤狼の血』の続編としてよかったのか?
前作の『孤狼の血』は、キャッチコピーである「魂に焼き付く暴力とカタルシス」の文言に違わぬ、圧倒的な熱量で、心を奪われたのを覚えている。
悪のツラを被りながら、そこに流れる正義の信条。
正義のツラを被りながら、そこに流れる悪の狂気。
大上と日岡、2人の人物を対比させながら、正義と悪、白と黒、綺麗事で片づけられないものを、それら全て飲み込んで、グレーに染まりながら茨の道、戦いの道へと立ち向かう“孤狼”の誕生を描くエネルギーは、日本版『ダークナイト』、いやむしろそれをハリウッド版『孤狼の血』と言わせるくらいのシビれる魅力があった。
清潔でエリートながら、一線を超えた時どこまでも落ちていきそうな危うさを抱えた刑事日岡を、好演していた松坂桃李。
大上の死によって、暴力団と戦う修羅の道を進むことを覚悟した日岡。新たな狼の誕生により、幕を下ろした前作。今作は、そんな日岡を軸に添え、圧倒的な悪の存在、鈴木亮平を置きドラマを展開する。
前作が圧倒的な熱量を感じる作品だっただけに、本作はどうしても小さく、軽く見えてしまう。
というのも、本作から感じる熱量は、割と“バイオレンスアクション”としての熱量にとどまるように思えたから。
前作を観て、バイオレンス映画としての熱量を一番に感じた方からすれば、本作は素晴らしい続編だと思う。実際、良い部分は多い。
ハードな描写も、血みどろのバトルも、暴力への恐怖も、徹底的に描かれている。
相変わらず開幕から描写はハード、あの筧美和子が出てきていきなり襲われて、挙句の果てに目玉を抉られるなんて誰が予想したであろうか。
正直、鈴木亮平の起用は個人的に少し違和感があった。演技力はとても高いと思うが、優しい印象があるし、何より、バラエティ番組に出演することによって面白俳優というイメージが根付いていると感じたから。硬派でハードな演技なしには、ヤクザというよりはただの半グレ、もしくはチンピラとなってしまうヤクザ映画にて、そのイメージは致命的と感じたから。実際、もはやイロモノに近い存在の斎藤工と吉田鋼太郎は結構ひどかった。演技はうまいし華もあるけど、画面が締まらない。特に、吉田鋼太郎は明らかに映画の中の存在としてピエロ的。かなり意図的に、エキセントリックな演技を披露しているようで、正直いややった。もしかすれば『仁義なき戦い』の山守をイメージしているのかもしれないが、必然性がない。
そんな中、鈴木亮平はかなり素晴らしかった。彼が画面にいると、ホンマに怖い。ハラハラするし、恐ろしい。まさに恐怖の存在そのもので、本当に素晴らしかった。やはり憑依型俳優。
目玉をくりぬくというサイコ感は正直いらないかな、ヤクザの残忍性を示したいのなら堅気にはやるべきじゃなかった。映像の中での最初の被害者が罪のない女性ということで、ただのサイコ野郎にしか見えず、カリスマ性は生まれない。ヤクザに対して「腑抜けた野郎のこんな目は必要ないんじゃ」的な感じならまだかっこよかったけど。過去のトラウマと絡めようとするのは正直退屈やし、映画全体がグロに偏るから個人的には不要もしくは過剰かな。
とはいえ、恐ろしくてひりひりするという意味でのバイオレンスは、とても効果的に働いていたと思うし、生きたまま焼き殺す描写なんかもなんとも気味が悪くて印象的。全体的に恐怖感の演出がよく、映画を通してのバイオレンスの程度もよい。松坂桃李が早乙女太一を押さえつけて銃を口にくわえさせるシーンなんかは、素直にかっこよかった。
なので、前作において、「バイオレンス最高!」という熱量を感じた人は、今作においても、大絶賛しうると思う。実際、評価はかなり高い。ヒットもしているみたい。
ただ、個人的には、前作において俺が感じた熱量は、バイオレンスの描写だけではないのだ。
前作は、役所広司演じる大上が、正義だの悪だの、「現場」の人間からすりゃそんなものは戯言、机上の空論、温室からぬくぬく観る俺のような若者が、あたかも自身の哲学のように語るもんだと、こき下ろすのである。それに、キャリア組で確か広島大学を出たエリートの日岡は打ちのめされる。大上をゆがんだ刑事と思いつつ、法の下に犯罪者を捌くべきと唱える。しかし、実際はそう簡単にはいかない。
大上と日岡は、酸いも甘いも噛み分けるうちに、そのイズム、そこに流れる美学を分かち合う。
正義だなんだと真面目ちゃんは黙っとれ!と突き放しつつも、結局は、戦って市民を守るという正義、それが脈々と「血」で受け継がれていくヒロイズムが確かにそこにある。狼の背中を観て、血を浴びた若者が、修羅となる。狼として生まれ変わる。それが、そのドラマが、たまらなくカッコいい。
講釈たれず、暴力に、荒々しくも勇敢に立ち向かう姿勢が、恐怖とともに、憧れ、たぎる情念として襲いかかってきた。松坂桃李の覚悟も、決して上部をなぞらうではない、狂気的ながら新たな正義の形として、それはもう興奮した。
そういった熱量を本作に期待してしまったために、少し肩透かしを喰らったのが俺の素直な感想やった。
やはり、本作も、前作に次いで「大上と日岡」の構造を生もうとしたのが敗因かと思う。(敗因という言い方は良くない。決して負けていないし、クオリティも高い。ただ、個人的にどうかなと思った意味での敗因)
前作は、大上には圧倒的なカリスマ性があった。役所広司は圧倒的な天才なので、コワモテで粗暴で非合法なことを平気でやる刑事の役をやれと言われれば、本当に監督の期待以上にそれを全うする。
昭和の暴力に満ちた街を、彼なりの美学で、孤独にいばらの道を進むその姿。
それに対して、松坂桃李は、前作においてもそのようなコマとして存在していなかったはず。
松坂桃李は、とっても男前で、スタイルがよく、スマートさがある。しかし、ナイーブさが顔や演技から漏れており、影もある。先述の通り、一線を越えてしまったときにどこまでも堕ちていきそうな危うさを抱えている。
それこそが、前作における日岡の役割として完璧なまでにハマっていた。法の下の正義と現実の正義の間で、板挟みになりながらも修羅の道を進む彼の姿は、ある種狂気であり、本作における、ダークヒーロー的な描き方ともシナジーがありそうである。
しかし、本作はその松坂桃李演じる日岡に、あくまで前作の大上の役割を与えたように思える。それは明らかに力不足。というより、松坂桃李のイメージと合致しない。
広島弁も違和感はないがあってないし、標準語でスーツで髪を固めて、キャリア組の顔をしつつ実は暴力でヤクザを支配しようとしている、それくらいの思い切りがあってよかったと思う。これでは、役所広司の完全な下位互換となってしまっており、ただただ彼の存在が懐かしくなるばかり。(とはいえ、映像の中に一度も役所広司を使わないのは見事。安っぽい前作のオマージュは興ざめなので)
立ち位置としては、前作における日岡のポジションに村上虹郎演じるチンタを置いているのだろう。
彼の存在は個人的にはかなり素晴らしかった。
彼は、暴力団に所属していながら、足を洗いたがっている。それもあり、日岡に暴力団の情報をリークしているのだ。要は、日岡のスパイ。
彼は足を洗う➡暴力団の悪とは決別する
という決意を持ちながらも、自身の身を守るために、暴力に身をゆだねる。それが素晴らしい。
そりゃ、怖いもん。鈴木亮平。
従わなきゃ、殺されるもん。目、大事やもん。
かなり泥臭い人間味と、生きる執念を感じた。決してカッコいいキャラではないけど、その分、映画がバイオレンスエンタメとして傾倒しがちなところを、暴力を恐怖の存在として感じさせてくれる役割を与え、バランス感覚をとっているように思えた。観客の暴力に対する恐怖を、しっかりと肌で感じさせてくれ、あくまで「ヤクザ映画」(ヤクザを扱った映画)としてのバランスを保っているように思った。
暴力とは怖いもの。しかし立ち向かわなければならない時もある。とはいえ、やはり身がかわいいのだから、屈さざるを得ない。
その残酷な真理は、かなり普遍的で、共感できるものやったな。怖いもん。俺も目玉くりぬかれるくらいなら小指落とすもん。まだマシ、そっちのが。
とはいえ、日岡とチンタの構造は、前作の大上と日岡の関係性には到底いたり得ないかなあ、どうしても、ヤクザの下っ端と刑事の関係、そこの打算的な関りには、今一つ共感できない。
同じ「刑事としての正義」の方向を向いているという前提が無くては、やはり表面的な善と悪の対峙を描くにしても、バディムービーとしての奥行きは感じにくいかな。
【大上との決別は、今一つ達成できていない】
おそらく本作の描き方の方向性としては、大上の背中を追う日岡が、暴力団を抑えるべく苦悩するも、うまくいかない苦悩を描いている。
その証拠(?)というか、そのイメージの裏付けとして、ラストシーンの、狼を追いかけるカットがあるのだけど、これがまた完全なる蛇足。
締まりが悪く、映画全体の味わいや余韻を損なう原因となっていると感じた。
現場で暴力と戦う、純粋な「刑事VSヤクザ」の構図以上に、もっと大きな敵の存在や闇の存在を描くやり方は、もはや刑事ドラマの定石で、それは大いに楽しいけど、それにより映画の描きたい輪郭が見えにくくなった印象。正直、上林の魅力は悪役としての圧倒的な恐怖によるものであり、大上の二番煎じを狙う日岡のキャラを補いうる役割ではない。そのために、1つの刑事ドラマ以上の存在ではなく、あの『孤狼の血』の続編というには、いまいちエネルギーや熱量が不足しているように思う。
本作は東映の伝統的なヤクザ映画のバトンを現代につないでいるように見えて、実際の味わいとしては「今風の青春映画」の様相を得ている。
若者の躍動、狂気的な生への執念、暴力と隣り合わせの正義。
これらは『ディストラクション・ベイビーズ』や『リバーズ・エッジ』といった暴力と青春を絡める映画の様相で、ベテランが跋扈するヤクザ映画の石は踏んでいないように思う。
ヤクザ映画としての説得力を与える宇梶剛士の早期退場、かたせ梨乃の刹那の死、吉田鋼太郎の演技感、これらすべて、映画の刹那のユーモアに利用され、今一つ味わいの薄い若者キャラたちの引き立て役にとどまっているために、ヤクザ映画としての迫力は今一つ伝わらない。そもそも、吉田鋼太郎や斎藤工の起用は、正直冷める。(起用自体は冷めないけど演技の質や意味のないユーモアが本当にうざったい)
『ヤクザと家族』に比べれば映画の軸は定まっておりさすがの白石監督だけど、本作の試みは今一つ踏むべき轍を通っていないという感じがした。
とはいえ、1つの映画としてのクオリティは素晴らしい。続編でなかったとしたら、それはそれでハードな描写がすさまじいヤクザ映画として、面白かったとは思う。
が、やはり、これは続編。求められるべきもの、超えるべきハードルは、本作はクリアしていなかったように思う。
でも何より、西野七瀬がヤクザと隣り合わせの場末のスナックのママには見えないじゃろうが!!!!!
エンタメ:☆☆☆☆★
テーマ :☆☆☆★★
バランス:☆☆☆★★
好き :☆☆★★★
計 12/20