一日一本映画レビュー 『竜とそばかすの姫』

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『竜とそばかすの姫』

 

原題:竜とそばかすの姫

公開:2021

監督:細田守

出演:w中村佳穂 成田凌 染谷将太 役所広司 佐藤健 他

 

 

地味系そばかす女子高生の私が仮想世界で歌ってみたらバズりにバズってあれよあれよという間に世界中から歌姫としてもてはやされたが突然現れた世界中から嫌われている闇系イケメンに心を奪われてしまった件

 

 

以下感想。

 

 

 

繋いだ!
繋いだ!

日本文理の夏はまだ終わらない!!

 

朝日放送 アナウンサー

小懸裕介

 

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夏。

 

何かの始まりや終わりを感じさせる春でも、哀愁や詫び錆を感じさせる秋・冬でもない。その間に存在する季節、夏。

 

エネルギーに満ちたその季節は、人々に生命の躍動を感じさせ、いま立っているこの世界を全力で生きるための感情を生み出し、心を動かす。

 

高校球児がプライドを賭けて塁に飛び込む姿など、過ぎ去っていく時間の手触りから目を背けるように、その瞬間を生きようとする姿は、まさしく夏に咲く花火のよう。

 

 

そんな夏に魅了された人は少なくないはず。

 

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そして、映画界にも、そんな夏に魅了、いや囚われた男がいる。

それが細田守である。

 

 

 

 

 

【大人気アニメーションスタジオの最新作】

 

細田守が最新作を公開したから、観に行った。

タイトルは『竜とそばかすの姫』

 

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アニメーション映画といえば、スタジオジブリをはじめ、多くの名作が作られてきた。

近年では、2016年の『君の名は。』の空前の大ヒットに始まり、さらに続く『天気の子』での新海誠作品の連続ヒット、サブスクリプション最盛の後押しもあり『鬼滅の刃』が大ヒットし、満を持して公開された劇場版は日本で一番売れた映画となるなど、アニメーション映画がとっても盛り上がっている。

 

 

アニメーション映画は、実写とは違って画面や世界観から『リアリティ』が失われる分、その隙間を想像力で埋めることが出来るのが魅力やと思う。

現実に存在しない、構成されている画面が全て「人工物」だからこそ、そこに各人の曖昧な、主観的な感覚を乗せることが出来る。

 

例えば「絶世の美女」というキャラクターを出せば、個人個人が勝手に脳内でそのキャラクターを「絶世の美女」として変換できる。

「ノスタルジー」なら、個人個人が抱えた思い出を自由にフラッシュバックできる。

 

実写だと、どうしても写実的になるが故に、要素を観客を納得させるのは難しい。

「アニメ」という曖昧な象徴が、むしろ人間の感覚を鮮明な映像に変換する。

 

 

そんなアニメーション映画のトップを走る監督、細田守

 

細田守

アニメーション映画監督

 

1967年生まれ、富山県出身。金沢美術工芸大学卒業後、1991年に東映動画(現・東映アニメーション)へ入社。アニメーターを経て、1997年にTVアニメ『ゲゲゲの鬼太郎(第4期)』で演出家に。1999年に『劇場版デジモンアドベンチャー』で映画監督デビュー。2000年の監督2作目、『劇場版デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム!』の先進性が話題となる。その後、フリーとなり、2006年に公開した『時をかける少女』(原作:筒井康隆)が記録的なロングランとなり、新時代の監督として知られるようになる。2009年に監督自身初となるオリジナル作品『サマーウォーズ』(09)を発表。2011年に自身のアニメーション映画制作会社「スタジオ地図」を設立し、『おおかみこどもの雨と雪』(12)、『バケモノの子』(15)、『未来のミライ』(18)と3年おきに話題作を送り出し、国内外で高い評価を得た。『未来のミライ』(18)は、第91回アメリアカデミー賞の長編アニメ映画賞や第76回ゴールデングローブ賞のアニメーション映画賞にノミネートされ、第46回アニー賞では最優秀インディペンデント・アニメーション映画賞を受賞した。

 

スタジオ地図 公式サイトから引用

https://studiochizu.jp/studio/

 

彼の作品を初めて見たのは中学生とかで、サマーウォーズを観た。

 

 

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中学生の俺は「OZ」の世界観に激しくハマった

世界観の構築、デザインはツボやったし、平凡な青年がひと夏の日本を救う大バトルに巻き込まれつつも、そのバックグラウンドに日本の叙情的なノスタルジーを絡めるアンバランス感が、めちゃくちゃカッコいいと思ってた。

 

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とはいえ、大学生になり映画にハマり多くの作品を観て、人と関わる機会や経験を少なくとも中学生の時よりはたくさん獲得し、良くも悪くもその時よりは作品の分別が付くようになった後に『サマーウォーズ』を観たら、感想が異なっていた。

 

世界観の構築こそ面白いけれど、結局のところキャラクターが織りなすドラマという観点では脆い。

血の繋がりという億劫で退屈で閉鎖的な繋がり・コミュニティから、自我を開放できる仮想現実の束縛の無い世界のギャップを描きつつも、最終的には古来からの人間の生身の繋がりと、物理的距離を超えた新時代の繋がりをリンクさせるという構造が面白いとは思ったんやけれど、テーマ先行で走りすぎているあまりに、キャラクターそのものや各人の行動原理が薄っぺらく、細かいドラマに入り込めない。それゆえ、「オタクの都合のいい妄想」程度に見えてしまう。

キャラクターに魅力が薄いために家族ドラマが上滑り、世界の中枢のシステムを害し軍隊の情報を掌握できるハッカー相手との戦いもイマイチ奥深いレイヤーでの緊迫感がない。久しぶりに観た思い出の映画は、正直いい映画とは思えなかった。

 

しかし、中学生の頃の俺はそんな感想を抱いていなかった。

デザインがカッコいいから、世界観が好きだから、とにかく、強大な敵にみんなで団結して立ち向かうのが最高だから!!

そこに理由なんて無かった。

 

俺はまだまだ若いけど、いつまでも子供ではいられない年になってしまった。

そうすると、神経も過敏になり、物事に理屈を求めるようになった。

 

それが決して悪いことではないけれど、そういった理屈抜きにして、感情先行で喜怒哀楽を全うできるのが「若さ」のエネルギーだとしたら、サマーウォーズ』はその若さを賛美した映画ともいえるのではなかろうか?

 

そこに理屈なんてなくてもいい。

だから、決してクオリティの高い映画とは思わないけど、サマーウォーズ』は個人的に大好きな映画。思い出が深いし、失ってしまった何かがこの映画にある気がするのだ。

 

『竜とそばかすの姫』は、世界観をその『サマーウォーズ』から引き継いだ、仮想現実でのドラマが軸となる。

 

正直、またサマーウォーズやんの?

 

と思ったけど、期待を込めて映画館へ行った。

サマーウォーズみたく、その世界観とエネルギーで魅せてくれればいいと思えたから。

理屈抜きで、映画を楽しみたいと思ったから。

 

 

しかし、その期待は、見事に打ち砕かれることとなる。

 

 

 

【駆け足のドラマ】

 

主人公の鈴は、子供のころに母親を亡くし、父親と二人で田舎暮らしをしている。

母の死因は事故。大雨で反乱した川に取り残された少女を救いに行き、帰らぬ人となったのだ。

 

 

「お母さん、行かないで!」

 

 

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自らの命を投げうって少女の命を救った母親に対する世間の態度は、決して暖かいものではなかった。

 

 

「偽善者」

「子供を一人にして無責任な母親だ」

 

 

 

数々の心無い言葉が、SNSという匿名で守られた表層から投げかけられ、それが確実に鈴の心を蝕んでいった。

それから時がたっても、鈴は、自分を置いて死んでいった母のことを許せずにいた。

 

 

幼き頃の母との思い出は、音楽に彩られていた。

大好きだった母親の笑顔は、常に音楽とともにあった。

 

しかし、母の死をきっかけに、歌おうとすると、母が去っていくトラウマが脳裏にフラッシュバックし、思わず嘔吐してしまうようになったのである。

大好きな音楽が、むしろ大嫌いな記憶を呼び起こしてしまう。

 

 

「なぜ私を一人ぼっちにしたの?」

 

 

大好きな音楽を捨てた鈴は、心を閉ざし、無気力になってしまう。

残されたものは、母親に似た、大嫌いな目の下のそばかすだけ。

 

 

誰かに助けを求めると、人を傷つけてしまうんだ…

 

当たり障りの無いように、人に迷惑をかけないように。

人に頼ることが出来ない鈴は、父親や幼馴染とのコミュニケーションを断ち、他人に波風を立てることないよう、偽りの笑顔を作る。彼女は、孤独に生きる道を選んだのだ。

 

美しい自然に彩られた高知の田舎町も、鈴にとっては意味のないシンボルに過ぎない。自身が高校に通うための古いバスが廃線になる知らせにアンニュイな目線を向けながら、今日も彼女の退屈な一日が始まっていく。

 

 

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そんな時、「U(ユー)」という仮想現実アプリと出会う。

それは、「As(アズ)」と呼ばれるアバターを作成し、そのアバターと自分自身の生身の感覚を共有しながら、仮想世界を楽しむことが出来るというものである。

 

 

”現実はやり直せない。

 でも。

 Uならそれが出来る。”

 

 

その文言に惹かれた鈴は、恐る恐るアプリを立ち上げ、Asを作成。

そこにいたのは、ピンクのロングヘアに、目元にそばかすを蓄えた美しい少女だった。

 

 

「これが、私…?」

 

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新たな世界との出会いに、心を躍らせる鈴。

いまなら、歌えるかもしれない。

ここにいるのは、鈴ではない。

新しい私。その名も「ベル」

今なら、大好きだった音楽に触れられるかもしれない。

 

勇気をもって口を開く鈴。

彼女の口から流れてきたのは、世にも美しい旋律だった。

 

 

 

 

 

 

というシーンに至るまで、体感時間15分ほど。

いくら何でも駆け足過ぎると思った。

 

・母親を事故で失った

・それ以来心を閉ざしている

・本当は歌が好き、でもトラウマで歌えない

 

という要素を、シンボルや回想シーンばっかりで説明しようとするから、「そういう悲劇のもとにいる辛気臭い少女」ということを印象付けるだけで、キャラクターとしての顔や背景が見えてこない。

あらすじみたいな序盤なので、アニメの2話だけ先に観たみたいやった。

 

 

 

なぜこの子はこんな暗い顔をしているのだろう?

なぜこの子は歌を歌えないのだろう?

なぜこの子は歌えないのに音楽を好きでいるのだろう?

なぜ大好きな歌にトラウマを抱えているのだろう?

 

という、彼女のキャラクターに対する疑問が浮かんでくる前に、それをシンボルで説明してしまうものやから、鈴という少女に対する興味が湧いてこない。

悲劇のもとにいる彼女に感情移入することが出来ないから、「気の毒やなあ」程度の感想しか持てないのよね。

 

最終的に「鈴=心優しいけど、過去のトラウマゆえに心を閉ざした少女」と納得できればそれでいいのか?そんなわけない。

 

彼女が抱えた精神世界、バックグラウンド、それらを丁寧に見せてくれないと、キャラクターがとっても表面的な、形式的なキャラクターになってしまう。

サブキャラクターならそれでいいけど、メインがそうだと、映画の進行に伴って感情の置き場がなくなるから、喜怒哀楽を感じることが出来ないんよね。

 

あっさり「ああ多分、主人公ってこういうキャラなんやろな」っていう想像を作らせて、それ以上でもそれ以下でもないから、ここから展開するドラマに興味が持てない。

 

主人公に感情移入できないと、

 

・主人公が好きになる人物を好きになれない

・主人公を好きになる人物を好きになれない

・主人公の活躍に興味が持てない

・映画の中で起こる主人公が絡んだイベントにおいて、それで感情がどう変化したか、気にならない

 

ということが起こる。そのために、映画がただの映像の連続になっちゃう。

 

例えば『千と千尋の神隠し』は、多くの人が抱えるノスタルジーと幼少期に感じた未知への恐怖とワクワク感をくすぐって、摩訶不思議な世界に迷い込む千尋という「めちゃくちゃ平凡な」女の子を主人公に置くことで、観客の感情の置き場を作り、映画で起こる喜怒哀楽の感情を千尋とリンクさせて楽しむことが出来る。

だから千尋が好きなハクのことは好きになれるし、成長し強くなっていく千尋の優しさに素直に感動できる。

 

極論で言えば、主人公を好きになり感情移入できさえすれば、後は何でもいいとさえいえる。

 

共感とは程遠くとも、圧倒的なカリスマ性で観客を魅了するタイプの主人公の作品も多くあるけど、少なくとも『竜とそばかすの姫』はその作品ではない。

 

観客の共感を誘うデザインのキャラクターであるにもかかわらず、それに共感できないと、そもそも映画が始まらない。これは『えんとつ町のプペル』もそうやった。

 

それゆえに、

 

・鈴が仮想世界で美しい歌を歌えたこと

・それが多くの人に受け入れられ、認められたこと

 

に対して、カタルシスが生まれない。彼女の成功を喜べないから、歌姫の誕生にテンションが上がらない。

 

「仮想世界に転生したら歌うスキルがカンストした美女になっていた件」

 

みたいなネット広告が流れてきた程度の感情しか生まれない。

 

 

 

 

 

【物語の核となる、“竜”の存在】

 

しかし、この映画の軸となる人物は鈴(ベル)だけではない。

「竜」と呼ばれる男。

 

 

歌姫として世界中から賛美されたベルは、U(ユー)の世界の顔ともいえる存在となる。

そんなベルが満を持して開催した単独コンサート。数億ものAs(アズ)が彼女の歌に心を躍らせる。

 

そこに、突如「竜」と呼ばれるAs(アズ)が乱入する。

「竜」は、圧倒的な暴力で他のAs(アズ)を攻撃する凶暴な男で、竜のような顔に鋭く伸びた角、そして背中に刻まれた大きなアザが特徴だった。

 

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多くのAs(アズ)から圧倒的に支持されている正義のヒーローAs(アズ)であるジャスティン」は、「竜」の正体を白日の下にさらす(アンベイルする)ことで、U(ユー)の秩序を守ろうとする。

 

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「竜」の乱入によりベルのコンサートは中止されてしまう。

歌姫のコンサートがめちゃくちゃにされたことに腹を立てる群衆たち。

 

U(ユー)の仮想現実にとどまらず、現実世界にまで、「竜」の正体を明かそうとする社会のムーヴが巻き起こる。

 

しかし、鈴は、「竜」の凶暴で暴力的なにおいに満ちた瞳の奥に、孤独・深い悲しみを見出す。

それは、母親が死んで、悲しみ、怒り、孤独に暮れていたかつての自分を想起させるものだった。

 

 

あなたのその傷は一体・・・

 

 

世界中で「竜」排斥の機運が高まる中、鈴は「竜」に寄り添いたいと感じるようになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

書いてて感じたし、読んでいて感じたかもしれないけど、よくわからない。

 

 

しかし、鈴は、「竜」の凶暴で暴力的なにおいに満ちた瞳の奥に、孤独・深い悲しみを見出す。

それは、母親が死んで以来、悲しみ、怒り、孤独に暮れていたかつての自分を想起させるものだった。

 

 

こんなシーン無いし。俺の脚色。

 

唐突に表れた、「道場破り」に明け暮れる「竜」という謎の「アズ」が、ジャスティス」のリーダー、ジャスティン」という「アズ」と対峙し、よくわからないけど世界中から嫌われ、「オリジン」「アンベイル」されろ!ってことになる。

でも、よくわからないけど「ベル」「竜」のことが気になって、「アンベイル」したくなくなる。

 

よくわかりません。

 

 

世界観やキャラドラマの構築が甘いから、話の展開を主観的に楽しむことが出来ず、与えられた情報でからしか理解できない状態。そのために、鈴が「竜」を気に掛ける理由が分からない(なぜ気になったのかという描写がないから)。先述の通りそもそも鈴に興味が持てないので、なんで鈴が「竜」を気になったのかが気にならないという構造。

 

そもそも、竜」のキャラクター描写は、「群衆のモノローグで説明する」のだから驚き。

 

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竜は後から再び登場し、案の定鈴に心を開くんやけど、あまりに駆け足やから「竜」のキャラクターがいまいちわからず、「狂暴やけど実は孤独で繊細」という、お約束的ないかにもプロトタイプ的なキャラクター像しか感じ取れない。

 

竜にもそばかすの姫にも興味が持てない。「竜とそばかすの姫」なのに。

 

 

 

 

 

 

細田守は何をやりたかったのだろうか】

 

 

軸の二人のキャラクター描写がスカスカで魅力がないうえ、サブキャラクターもとってつけたようなもので、ドラマに全然血が通っていない。

 

イケメン高身長幼馴染の忍(しのぶ)は共感に乏しい世界観とドラマに無理やり観客の共感を押し付ける恋愛要素のためのコマにしか感じない。

コメディ担当のカミシンも、ブレイン担当のヒロちゃんも、キャラクターが表面的で興味が惹かれない。

現実世界と仮想世界のドラマのシナジーが薄いから、ドラマが継ぎ接ぎな印象がある。

 

 

「竜」狩りに固執し、偏った偽りの正義を振りかざすジャスティン」と、揚げ足取りに傾倒した、SNS上で匿名化された悪意の声は、細田守本人が世間に対して抱えるフラストレーションの風刺の具現化にしか見えない。

 

風刺っていうのは表のテーマがあるからこそ映える裏のテーマであって、表が成立していないのに前に出そうとしすぎると、監督の自己満足や思想の押しつけになってしまう。

『天気の子』は、浅はかなオマージュや露骨なスポンサー広告が皮肉めいていた部分があったけど、それ込みでしっかり作品として完成していたし、「若さを許容できなくなっている社会への警鐘」というテーマが奥のレイヤーで描かれていることで、若さに満ちた青春ストーリーに一枚奥深いレイヤーでの監督の心情の吐露に成功していると感じた。

 

本作は、監督の社会に対するフラストレーションが出すぎているように思う。

インスタのストーリーでイキっちゃうメインテーマ担当者様に比べたら正々堂々やけど。

 

 

結局のところ、映画における盛り上がりは作中に流れる音楽頼り。

美女と野獣』へのリスペクトも、過去作へのオマージュも、色褪せた退屈なファンサービスにしか思えない。

 

 

そして、悪意を向けつつも最終的には手のひらを返し、涙を流して称賛する群衆の姿。

これを観て、俺は観客をナメるのも大概にせえよと思った。

 

 

ドラマは描写不足、キャラクターは魅力なし、盛り上がりは音楽だより、小手先のオマージュ、言い訳がましい風刺。

これによって最終的な着地がSNSへの警鐘・風刺」???

これが細田守のやりたかったことなの?

 

 

涙を流してみんなで合唱

お父さんのモノローグベースでの優しい声

 

そりゃ泣くよ。でもそれは映画の脚本が生んだ感動の涙ではない。

くそつまらないコントでもとなりで大爆笑している人がいたら笑うように、こんなものは誘い笑いに過ぎない。

涙を流してみんなで大合唱しているシーンを観たら感動を想起するように人間はできているだろうし、不器用な父親が自身のアイデンティティを祝福してくれたら(しかも死んだ母親を引き合いに)ぐっとくるよ。そういう風に人間出来てるもの。

なんなら、役所広司の演技がうまいだけ、というか俺が役所広司のファンなだけかもしれないし。

 

 

こういうの好きでしょう?

どうせ、こういうのが売れるんでしょう?

音楽で盛り上げればいいんでしょう、単調なサクセスストーリーが受けるんでしょう、最終的に泣かせればいんでしょう。

要素だけ並べて感動の作品を作ることはできないはず。

 

 

サマーウォーズで感じた、世界観への没入感は?

理屈を抜きにした若さへの賛美は?

音楽ではなく「映画」を楽しみに来た人は何を楽しめばいいの?

 

本作に「細田守」の顔は無く、あるのは監督の社会に対するうがった言い訳と皮肉だけ。

 

 

 

こうやってブログで悪口を書くのも、あなたに言わせれば匿名化された空っぽの群衆の行為なのでしょうか。

僕は自己満足と欺瞞に満ちた正義を振りかざす「ジャスティン」なのでしょうか。

 

俺みたいな感性が終わっている鈍亀の意見なんてカス中のカスなのは百も承知やけど、期待して映画館に向かってそれをひどく裏切られるというのは、たまらなく悲しい。

 

 

 

 

 

 

 

【いつになったらウォーゲームは終わるのか】

 

細田守出世作、それは『時をかける少女』やけど、その前に、『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』という作品をやっている。

観たらわかるけど、まるまる「サマーウォーズ」の設定なのよね。

 

デジモン』の世界の枠組みを取っ払い、幅広く普遍的に認知されるヒューマンドラマとして、脚本を書き換えたのが『サマーウォーズ』といえる。

もちろん『デジモン』の後ろ盾を失ったことでガタが出てしまった部分はあるけど、世界観をよりリアルに、細田守の感覚を反映しているので、理屈抜きに楽しむことが出来る映像作品になっている。

 

 

『竜とそばかすの姫』は、『サマーウォーズ』から時を超えて、当時よりも円熟した細田守が満を持して放つ作品だと思っていた。

しかし、蓋を開けると世界観の構築はおざなりで、『サマーウォーズ』以上に人間ドラマが手薄になっていた。

 

SNSの発達により、匿名で発信できるゆえに、負の感情をセーブするフィルターが馬鹿になり、悪意が一点に集中しやすくなっている現代。
そんな廃れた時代の中で、むしろ、SNSだからできる、繋がれる、共有できる人の温もり、感動があるはず。
空間を超えて、傷を共有し、癒しあえる出会い、そして、それが愛を生み、物理的な壁を打ち砕く情熱を生み出す。
芸術はそんな人のエネルギーを生み出すエンジンになり得るというメッセージは、素晴らしいと思う。

しかし、中身は細田守が抱えるフラストレーションの具現化が先行し、美しいテーマは伝わってこない。

 

 

『ウォーゲーム』を焼き増しした『サマーウォーズ』を焼き増しした『そばかすの姫』。

『ウォーゲーム』を知らない世代の子が『サマーウォーズ』を観て、『サマーウォーズ』も知らない世代の子らが『竜とそばかすの姫』を観て(なんなら『美女と野獣も』)、小手先のエンタメで騙す。その内面は社会への批判と皮肉だらけ。

 

いつかまた、さらにその焼き増しが生まれたりして。

 

 

細田守がこの「夏の呪縛」から解き放たれる日は来るのだろうか。

 

 

 

エンタメ:☆★★★★

テーマ :☆☆★★★

バランス:☆★★★★

好き  :★★★★★

計 4/20