一日一本映画レビュー 『聖なる鹿殺し』
『聖なる鹿殺し』
原題:The Killing of a Sacred Deer
公開:2017
監督:ヨルゴス・ランティモス
出演:コリン・ファレル ニコール・キッドマン バリー・コーガン
不条理の中に浮かび上がる、ルールとその必然性
以下感想。
【ランティモスの虜】
こないだ『ロブスター』を観たわけやけど、それが俺の想定をはるかに超えてハマったから、ヨルゴス・ランティモスの別の作品を鑑賞してみた。
映画はわかりやすくて楽しいエンタメ映画もいいけど、やはりそういう作品ばかり見ていると映画を観ながら考えることをやめてしまう。
まあ、それはそれで悪いわけではないけど、やはり、奥深くて鑑賞後の余韻が強い作品を観ることが、映画鑑賞の醍醐味かなと思う。
今回観た作品は『聖なる鹿殺し』。
タイトルの意味はこの時点では全くわからないし、鑑賞し終わった後でも一切わからない。
『ロブスター』以上に、意味不明で難解、不条理なサスペンスやった。
しかし、やっぱり最終的に思いっくそとがったコメディみたいな味わいがあって、とても味わい深い良い作品やった。ランティモスのファンになったかもしれん。
非日常に理不尽にも対峙させられた時の人間の選択と、そこからあぶりだされる人間の残酷な本能が、観客の生理的嫌悪感を増長し続ける、そんな映画。なんでそんな映画わざわざ観るの?
サイコスリラーとして、とにかく完璧な空気作りで、完璧すぎて、なんで楽しいはずの映画鑑賞でこんな嫌な思いせなアカンねや?という気持ちになった。
ネタバレを含むので一応注意。
【一人の少年の狂気】
主人公は、心臓外科医の医師。
そして、その医師と懇意にしている一人の少年。
しかしながら異様な空気感を漂わす二人。医師とその家族が少年との邂逅を通じて、少しづつ歯車が狂っていく。
ある日、突然足に力が入らなくなり、歩くことはおろか立つことも出来なくなった医師の息子と娘。
身体に一切の異常は見つけられないが、どうしても歩くことが出来ない。
そしてやがて、息子と娘はモノを食べることを一切拒むようになった。
子供の病に頭を悩ませる医師の前で、少年はこう言い放つ。
「先生は僕の家族を殺してしまった。
ということは、先生も家族を一人殺さなくてはならない。
最初は足が動かなくなって、やがて食べ物を拒む。
そして血の涙を流して、やがて死ぬ。
奥さんもじきにそうなる。
食い止めたいなら、誰か一人を殺さなきゃならない。選択するのは先生だ」
これが超能力によるものなのか、物理的な因果があるものなのか、呪いとかの類なのか、そういった理由は一切明かされない。
ただ、映画の中で起きた事実だけが、羅列されていくのである。
どうやら、神話だか西洋古典だかを現代風にアレンジしてるらしく、メタファーを散りばめられており、それらを解読することで難解なストーリーを紐解くことが出来るように作られた映画だそう。
個人的には、そういう前情報は無しで、不可解で不条理なサイコスリラー、そしてそこから浮かび上がる人間の醜くも残酷な生存本能をゾクゾクしながら楽しむのが良いと思う。
あんま考察とかは抜きで、感覚的に楽しむと吉。脚本の因果を理解しようとしない方が楽しいと思う。
気分の悪いシーンの多い映画で、観ている最中はかなり気が滅入る。ねんけど、なんだかんだそれがある種の爽快感を生む。
クレイジーかつ胸糞悪い世界観や設定、シーンが「そうこなくっちゃ」的な味わいを醸し出していくパクチー映画。嫌いな人はちゃんと嫌いやと思う。
【過去のあやまち、それの犠牲になるのは子供たち】
なぜこんな不条理、理不尽を与えられるのか?
その理由は、いわゆる復讐というものにあるわけなんやけど、結局、その犠牲となるのは罪のない子供たちなんよね。
謎の病魔に侵され、衰弱していく子供たち。
子供たちを助けるべく焦り、苛立つ両親とは裏腹に、子供たちはその天命を受け入れているかのように思える。
身体に異常がないにもかかわらず立つことも食べることもできない子供に苛立つ父親。
精神的な要因と診断され、立て!と突き放し、
「俺たちに秘密は無しにしよう。今から赤裸々に語らい合おう」
と、子供のころ寝ている父親に手コキしたことあるとかいう謎のトラウマ必至エピソードを語りだす。面白すぎるやろ。
子供の命がかかった極限状態に陥っても、過去のあやまちを受け入れようとしない医師。映画が始まるにつれて、理不尽の連続でおののいていた中で、やがてそれが「因果応報」という言葉で説明がついていくのがとても気持ち悪い。
どうしても家族のうちの誰かを殺さなくてはならないのか…
その決心をした医師が、息子と娘の通う学校の先生にどちらが優秀か?を聞きに行くシーンは、あまりにも恐ろしい。
やがて死の匂いが近づくにつれ、奥さんも、
「私さえいれば、子供はまた作れるでしょ」
みたいなことを言い出す。恐ろしや。
【サイコスリラーの傑作】
いわゆるホラーのような演出はないんやけど、人間の生理的嫌悪感をギリギリまで引き出して、観客を辟易させる映画。
人間の不気味さ、狂気にさいなまれながらも、遠いどこかで共感してしまう恐ろしさ。
同情や憐憫を向けながらも、その醜さと愚かさが明かされるにつれ、不信感にさいなまれる気持ち悪さ。
ホラーではないけど、確かに恐ろしくて、頭から離れない。
少年がグチャグチャとスパゲティを食って
「お父さんはスパゲッティをこうやって食べていたんだ
だから、息子である僕も当然こうやって食べていた
僕はこれを遺伝だと思っていたけど、僕以外の人も、みんなこうやって食べていた
僕はその事実がたまらなく悲しかった」
とか言うシーン。意味不明。めっちゃ気持ち悪いけどクソ怖かった。
『ロブスター』の時もそう感じたけど、結局のところ愚かな人間のブラック過ぎるコメディみたいなもんで。
深いメッセージを暗に匂わせながらも、その刹那のエンタメ、スリルを観客に強要。
最終的に共感も感動も程遠い奴らの愚かな悲劇、それくらいのテンションで映画を落とすのが、たまらなく好き。
コリン・ファレルの哀愁ブラックユーモアとニコールキッドマンの全裸麻酔プレイと迫真手コキが楽しめる映像芸術でした。たまには映画で冒険したい人はぜひ。