一日一本映画レビュー 『ロブスター』

『ロブスター』

 

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原題:The Lobster

公開:2015

監督:ヨルゴス・ランティモス

出演:コリン・ファレル レイチェル・ワイズ レア・セドゥ ジョン・C・ライリー ベン・ウィショー

 

欺瞞に満ちた男の悲しい喜劇

 

以下感想。

⚠映画に残酷な描写、グロテスクな表現、生理的嫌悪感をあおる表現あり

 苦手な人は注意して観てね

 

変な映画ってたくさんある。


王道のエンタメ映画、例えば派手なアクション映画とか感動のヒューマンドラマ映画とか、そういったものも確かに素晴らしいし楽しい。

けど、そういったモノとは外れた、変わり者映画を観るのも映画鑑賞の醍醐味といえる。

そんな変な映画を得意とする映画監督はたくさんいるけれど、この『ロブスター』を監督したヨルゴス・ランティモスはそんな監督の代表者の一人といえる。


女王陛下のお気に入り』っていう彼の映画があって、それが何年か前にアカデミー賞にノミネートしてたから、その時初めて彼の名前を知った。この作品を観て特にランティモスの別の映画を観ようという気にはならんかったんやけど。『ロブスター』はもともと変な映画として何となく噂は聞いていたので、思い切って鑑賞してみた。


結論から言うと、めちゃくちゃ面白かった。

 

開幕、長回しで車を運転する女性の顔が映され、おもむろに彼女が車を降りると、草原にたたずむ牛を銃殺する。
そんな意味不明なシーンから始まる映画。

 

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隔離された部屋、奥にいるのは兄(犬)



 

「彼も眼鏡をかけていたのか?僕と同じ近眼?」

 

「いいえ」

 

「そうか」

 

物悲しそうな、哀愁漂うおじさん(コリン・ファレル)が本作の主人公。
どうやら、彼は離婚したらしい。

 

 

「子供はいますか?」

 

「いいえ」

 

「それでは、犬は飼っていました?」

 

「はい。兄を。」

 

 

不可解の連続が早速観客を選別するわけなんやけど、この映画は成人すると結婚せねばならず、独身でいると動物にされてしまう。

意味が分からないやろうけど、本当にそういう設定の映画やから仕方ない。どうやって動物にさせられるのかとか、なぜ動物にならなくてはならないのかとか、そういう詳細は一切説明されない。

ただ、映画の中で作られた既成事実、与えられた設定を受け入れて、身をゆだねる、そんな鑑賞をお勧めしたい。

 

こういう荒唐無稽な映画やから、結構賛否両論分かれる映画であることは考えられる。けど、個人的にはこういった「賛否両論」みたいな作品は好き。たいてい「賛派」に傾くから、というわけではなくて、
「あぁこれ賛否両論あるやろなぁ」
と感じながら映画を観るのが好き。

 

45日以内にパートナーを見つけないと動物にさせられる、という不条理なベース設定。
この世界では、独身になってしまうととあるホテルに隔離され、拘束される。
そこには独身の男女が共同生活を行なっており、恋に落ち、試練をクリアすれば街に帰れる、というもの。


究極のサバイバル×恋愛バラエティ命がけのあいのりといった感じやねんけど、このナンセンスなコメディ舞台にまずハマれるか?が、今作を楽しめるか否かの最初のハードルかも。
個人的には、気持ち悪すぎて、好きかな。

 

ほんまに細かい設定が意味不明。

例えば隔離生活初日はなぜか片手を拘束させられて、めちゃくちゃ苦労しながらズボンをはき替えるとか、毎日「あと45日です」みたいなアナウンスを寝起きに聞かされたりとか、なぜか定期的にメイドさんみたいな人が来て寸前まで尻コキしてくれるとか、とかく意味不明。

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なんかなまめかしい。正直ここだけはうらやましい



 

「独身は悪だ!」
という社会の同調圧力、おそらく俺が結婚を考える時期よりも、もう少し前の時代は特にそうやろうけど—、あたかも独り身で居る人は社会不適合者のように思われてしまう。
しかしこの偏見はおれ自身も自覚している節があって、例えば友達が主体性のない考えをしていると
「だから彼女出来へんねん」
と思ってしまう。


それは正しくない、何故なら主体性の無い部分以上に、異性にとって魅力的だと思われるポイントはその友達に必ずあるし、彼女が居ない理由は欲しいと思ってないからかもしれない。
その辺をスキップして、「こいつは彼女が出来ない」と烙印を押してしまう。悪いとは思っていても、どうしてもしてしまう。

 

この映画を敢えて深読みすると、そういった潜在的差別意識を風刺しているように味わえる。
イムリミットの中、くだらない「共通点」を愛の印と信じ込んで、ホテル脱出の攻略法を探す欺瞞。

 

僕も鼻血が出ちゃうんだよ

なんて言って机にわざと鼻をぶつける男。

男をベッドに誘って、断られたから低い窓から投身自殺を図るも死にきれなかった女、それを見て冷たくあしらうことで、冷徹な人間を演じる主人公。


結局のところ、愛を失ったもしくは手に入れられなかった男女に独身のスティグマを押してかき集め、再びハリボテの愛を作らせる。意味がないことを真剣にやっている愚かしさが、問題解決への本質的なズレを感じさせ、冷笑を誘うわけやね。

 

そんな生活の中、ある一線を超えたとき、主人公の中で何かが決壊する。

同調圧力からの解放を求め、そこから逃げ出し、今度は独身貴族たちの王国へたどり着く。
ここではすべて自己責任、弱い者は死ぬ。
しかし、少しでも不純異性交遊をしようもんなら、停学どころか身体の一部を失うという不条理ルール。

赤のキスとかいう罰で、カップルの片方は上の、片方は下の唇を切り取られてキスさせられるらしい。ちなみに赤のセックスもあるらしい。怖。

 

独身・結婚右派も左派も、あまりに極端で、突き詰めると、結局のところ欺瞞だらけで中身が無い。
右でも左でも無い人間、ナチュラルに愛し合う二人が、二人だけの世界を求め彷徨う。

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さりげなく通るフラミンゴ、きっとこいつも、もとは人間なんやろな

確かに、子孫を残す能力の無い動物、残せなかった動物は、欠陥動物かもしれない。
しかし、人間には動物にはない知性と感性があり、大きな脳を持って、本能に打ち勝つことで自然界を生き抜いてきた。
制度や圧力ではなく、人間が出会い、惹かれ合い結びつく。そこにあるプロセスをすっ飛ばして、記号的共通点のみでマッチングしたり愛情行動を抑圧するのは、人間の進化の意味を手放すことに他ならない。

二つの極端な世界に身を投げ、そこで惹かれあった男女が、困難を乗り越え、苦楽を共にし、支え合う。そこに、「真実の愛の姿」があるのだと、この奇妙で歪な作品に教えられ…

は、しない。

 

俺は共通点だらけイコール理想的な恋だとは思って無いのね。
共通点があればそれは素敵。話が盛り上がる、楽しい時間を共有できる。
だけど、じゃあ共通していない部分はなんなのか?
B型でベリー嫌いで楽器が出来なくてドイツ語が話せないことが、なに?
良くない?どうでも。


共通点に愛を乗せると、そこに齟齬が生まれたら、その愛は失われてしまうのか。
自分の好きな小説やエモい漫画ではなく、ビジネスや啓発本を読み出した彼氏を、「魅力的な彼とは変わってしまった」と興味を失うのか、「彼の考え方は今どうなっているのだろう」と興味を持つのか。

ある種、有村架純菅田将暉の恋路に似たドラマを、ものすごいうがった視点から描いていると考えることもできるやろう。

 

最終的に、そういった記号でしか愛を図れない男。妻の命が危ない状況で自分の身を可愛がった男と、似たセリフを吐く女。
今野、そこに信じられる愛はあるんか?

 

俺は、この映画はそもそも「愛がどうだ」と説く映画ではなさそうだなと思っている。
深読みを誘い、楽しませつつ、最終的には欺瞞だらけの世界で、欺瞞だらけの男の悲劇のコメディにとどめる感覚が堪らない。
だって、こんな変な映画に説教くさく愛とか言われたくないやん。

深読みして楽しい、でも結局は空っぽで、奇妙な設定を楽しむブラックコメディだわコレ、という感覚が、映画の余韻に強く残った。

 

 

 

 

タモリ「真実の愛、世間はそれをあたかも甘く美しいもののように賛美します」

 

タモリ「でも… 私なら、この奇妙な世界で真実の愛を探すくらいなら、動物になった方がマシです」

 

タモリ「私なら… そうですね、イグアナにでも、しておきましょうかね」

 

 

 

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エンタメ:☆☆☆☆☆

テーマ :☆☆☆☆★

バランス:☆☆☆☆☆

好き  :☆☆☆☆★

計 18/20