一日一本映画レビュー『えんとつ町のプぺル』

えんとつ町のプペル

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監督:廣田裕介

公開:2020

出演(声):芦田愛菜 窪田正孝 他

 

コレが西野のやりたかったこと?

 

こないだ、えんとつ町のプペルを映画館で観た。

これは、キングコング西野が作った絵本が原作で、満を辞して映画化された訳や。

キングコング西野は出身高校が同じやし、西野が「はねとび」で大活躍してた時めちゃくちゃテレビ観てたのもあって、結構好きな芸人。

最近は芸人というよりオンラインサロン経営の発信者みたいなイメージやけど、こないだ劇団ひとりと肛門のニオイを嗅ぎあったりしてて、めちゃ面白い芸人やと思う。

 

西野の哲学というか考えみたいなモンには特に興味ないんやけど、自信の考えをアウトプットして他人を動かせるってめちゃ凄いな!と思うし、尊敬してる。

 

プペルは読んだし(本人が無料公開した)、絵本の世界観も、絵も、テーマも好きやった。そりゃ絵本やから子供向けやねんけど、とはいえ大人に跳ね返ってきて刺さる部分もあったり、普遍的に感動できるポイントもある。

西野がしばしば言ってる・プペルでも伝えてきてるように、大人になっても夢を持ってバイタリティに溢れる生き方をしたいな、とつくづく思う。

 

そんな俺やから、プペル映画化は嬉しかったし、絶対観る!と決めていた。

絵本の中で描かれていた、繊細で空想的な世界観を、「映画」という芸術を用いてもっと幅広く奥深く表現してくれると思ったから。

そんな上がりきったハードルを引っ下げてイオンシネマに行ったら、たまたま1100円で観れるおトクな日やった。

 

映画は、そのハードルは超えてくれなかった。期待外れやった。

端的に言うと、面白くなかった。

 

しかし、Filmarksを観ると割と評価高め、西野のインスタでも高評価を受けてる感じは見受けられる。

俺が楽しめなかったのは、そもそもこの映画が越えるべき「ハードル」とは別の種類の「ハードル」を映画館に持っていっていただけなのかもしれない。刺さる人には刺さるのは違いない。実際、映画館の席の後ろにいた人はズビズビ泣いてた。ぜひ、映画館で鑑賞して確かめて欲しい。

 

けど、個人的には大ハズレ。

ただ、面白かった!と感じる人を否定するつもりは全くないから、俺がこの映画に合わなかっただけ、ということを分かったうえで読んでほしい。

 

そもそもこの映画のターゲットは子供層やろうし、この映画を真剣に大人が吟味するのはナンセンスなのかもしれん。とはいえ、それならば、西野が掲げる「打倒ディズニー」という点においては、大惨敗を喫したと言ってもええやろう。なぜなら、ディズニーは子供向けながら、大人でもしっかりその世界観に没入して楽しめるから。

また、近年のディズニーは王道のドラマというよりは、多様性という価値観を広げようとしている印象。悪い言い方をするとポリコレに傾倒している。が、ディズニーという超大手が率先して針のムシロに座り新たな価値観を広げようとしている中で、プペルは王道に凝り固まった商業映画に過ぎなくて、打倒ディズニーを掲げるのは流石に厳しいかな。

 

映像芸術による深みのある表現を狙ったのなら、この映画に芸術性はなく、興行の匂いが強いファミリー映画にすぎない。が、王道を攻めることで興行的成功を求めたのなら、『鬼滅の刃』には逆立ちしても勝てない。

西野のやりたかったことはいったい何だったのか?

 

映画に比べて、原作の絵本はもっとシンプルでファンタジックやった。映画は、ファンタジー色は薄く、映画作品としての肉付けをしたことで邦画特有の退屈な王道に固まってしまった。

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そりゃ、原作をそのまま映像化すれば100分ほどの長編映画として成立させることはできんやろう。やから映画用に肉付け、アレンジされるのは当然。

しかし、その作業によって、原作にあった魅力が無くなったんじゃないかな。描かれるべき作品の軸、プペルを読んだときに感じた感動はどこかへ消えてしまった。

 

なぜそんなことが起きてしまったのか?まずは、絵本と映画を比べたときに、映画版は圧倒的にキャラの多さが目立つ。

 

この作品の上映時間はおおよそ100分。

これは映画としてはかなりタイト。よく言えばテンポが良いが、悪く言えば描写が不足してしまう。

100分というタイトなタイムスケジュールの中で、この映画は10体以上のキャラクターが登場し、それらになんらかの役割が与えられている。

プペルとルビッチというキャラを軸に据えた映画で、これはあきらかに多すぎる。

先述のようにタイムスケジュールはタイトなので、キャラクター一人一人をしっかり描写していくことが出来ない。その中でキャラクターらを観客に好きにならせようとしてくるんやけど、それはさすがに無理な話や。

 

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公式サイトより引用:https://poupelle.com

例えば王道の男2:女1の黄金比率の三人組。

後半ジャイアン的ポジションにいるアントニオにスポットライトが当たるんやけど、彼らを好きになる瞬間はとくに無かった。プペルがコイツに半殺しにされるシーンはちょっと怖かった。

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よくわからんけど味方なねぇちゃん。原作未登場。

親族では無いっぽいけど味方。名前は分からん。

気が強くて勝ち気で見た目エロくて主人公には優しいっていう中学生の脳内に住むようなキャラやけど、映画を観ても名前と役割はわからんかった。

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他に国王的なやつ、裏で政治を操ってるやつ、その手先、地下を掘ってロマンを求めてるやつ、プペルの職場の親方とか、サブサイドにえらくキャラが多い。そして、映画が「どや?こいつらのこと、好きやろ?」みたいな感じを出す。

 

キャラクターを好きになれない問題点として、そのキャラクターたちひとりひとりが、世界観を作る役割ではなく、脚本を進める役割を担っていること。

興味のないキャラクターが映画の筋を理解するにおいて重要な存在になっているというのは、映画を観る上で大変苦痛なことや。

ドラマ部分においても、このキャラはこういう役割なんやろうなってのが透けて見えるから、キャラクターたちがキャラクターとして動いているより映画のコマとして動いているように感じる。それゆえ、映画が子供向けに見える。

 

そして、何より、映画を過度に説明することになっているように思った。

こういうたぐいのファンタジーって、理屈での理解より、世界観への「共感」が必要なんちゃうかな。その世界がどのように構成され、どのような理屈で成り立っているかは全く興味がなくて、想像力に委ねながら不思議な世界観に共感して、自分と重ねることが出来るから楽しい。

この映画は、えんとつ町の概要と、「夢を持つ」というテーマを説明するのに必死な感じがする。

 

俺が思うに、映画なんてのは、テーマがどうこうとかは二の次でいいと思う。

テーマや哲学がない映画は薄っぺらくて楽しくないけど、「テーマとかよくわからんかったけどなんか深そうやし、よく分からんけどおもろかったな」みたいなのが理想。

千と千尋の神隠し』とかはそんな感じ。意味はよく分からんけど、テーマとか分からんけど、面白いし、世界観に浸れるし、深そうな感じがしてオシャレ。

映画を観るという瞬間を最大限に楽しませてくれつつ、観終わった後にいろいろ考えたり語ったりすることで観た後も楽しませてくれる、というのが理想。

テーマを必死に説明したがるのは安い邦画の悪い癖で、見え透いたシナリオは冷めてしまう。作品を過度に説明し世界観を構築しすぎたせいで、「もし世界が煙に包まれたら?」ではなく「もし煙に包まれた世界があったら」の視点になってしまい、主観的に感動できない。

 

 

そもそも、ルビッチというキャラに特別魅力が無い。

夢を追い続けるひたむきな少年という印象が薄いから応援しづらい、カリスマ性もなく、感情移入するには普遍性がない。何とも中途半端なキャラクターやった。

芦田愛菜ちゃんの吹き替えも、うまいけど、優等生すぎて退屈。抑揚がなくて感情が動かなかったという感想やった。

 

プペルは窪田正孝の吹き替えがめちゃ上手いという点以外において、あまり印象がない。

素直で優しい心の持ち主なんやけど、映画の中での描かれ方的に、それはプペルというキャラクターの魅力というよりは、ごみ人間という彼の性質からくるものといえる。プペルが優しくて素直な人物であるというより、「普通の人間じゃないからイノセンスな状態なだけ」という感じ。伝わるかな。

異形の人物をキャラクターとして据えるのならば、ごみ人間ゆえに「人間にはない魅力」みたいな、人間が目を逸らしがちなことと向き合わせる、みたいな役割が欲しい。うまくやればラプンツェル的な魅力を出せたのでは。 

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どのキャラクターをとっても、各キャラクターが一人一人の行動理念に従って動いているというより、脚本のために動いているから、魅力がない。Aという役割を与えられたAというキャラクターが行動しているだけやから、どのキャラクターをとっても、観客としてはいまいち上滑りしてしまう。

ルビッチとプペルに共鳴して周りの人間が動かされていくという流れなんやけど、キャラクターたちの根本の行動理念が感じられないから、脚本の中で、唐突にルビッチとプペルを突き放し、脚本の中でてのひらを返して彼らを応援する、という印象が強い。

 

肝心のえんとつ町の空気感は、確かにアニメーション制作のスタジオ4℃との相性はよさそうに思った。とはいえスタジオ4℃の作品はそんなに観たことないけど、ごちゃついた街並みと綺麗で印象深い画を、3Dと2Dのちょうど真ん中くらいの塩梅で表現してくれるっていうのは、プペルの世界観とはかなりマッチしていた印象。

 

とはいえ、アニメーションの魅力を上手く出せたかというと微妙。

開幕のオープニングアクトを務めた「ハロウィンダンス」は、そのアニメ制作能力の高さをいかんなく見せつけた…風やったけど、空回りかな。メリハリがなくて、映像も退屈やった。

 

空想の世界をふわっとしたメルヘンな世界観で描くのであれば、その空白をゴタッとした説明で埋めるのはもったいない。「中央銀行が…」とか「王政による…」とか、脚本い説得力を持たせるのは良いけど、それによって空想の面白さが失われた。

空想の余白こそ、美しいアニメーションで作ってほしかった!

 

こういうファンタジーって、さっきも言ったけど、多分理解や説得力を求めて無くて、求められるのは「共感」と「没入感」なんじゃなかろうか。

理屈によって無理矢理説明されたことで、子供にはわけわからんし、大人には退屈。

 

さらに言うと、そもそもこの作品っていったいどういうテーマの映画なんや?

夢を持つこと?友情?親子愛?

西野が多くのメッセージを発信したい、沢山の人々の心を動かしたいという気持ちは素敵やけど、映画の、100分の中でそれらすべてを説得するのは無理。

 

詰め込みすぎてテーマが分からず、軸となるべき「夢を見続ける」という点がぶれてしまっている。

ていうか、そもそも「夢」って大声で人に語るもんでもない。

夢を語る人にありがちなことなんやけど、夢を語らない人はみんな夢のない退屈な野郎みたいな決めつけをしているようないやらしさがある。

夢を持ち、それを語ることは勇気がいることやと思ってるし、夢に向かって努力、思考、漸進を尽くす人間に俺もなりたい。だからといって、夢って大っぴらに語る者でもないし、本映画の設定にのっとれば、星を見ることだけが人の夢でもない。

西野は自身の考え方をアウトプットするのは凄く上手なんやけど、もしかしたら他人の考えをインプットするのは凄く苦手なんちゃうか。

それが多くの人に嫌われる原因でもあると思う。よく言えばカリスマ性ってことなんやろうけど。映画を観るに、急にオカンを喘息持ちにしたり父親を殺したり脚本の盛り上がりのために主人公を不幸にするあたり、共感能力に欠けた人間の感覚があって、すごく奇妙やった。

 

俺は勝手に、ティム・バートンみたいな味わいの作品になるのかと思っていた。

芸術性は西野が掲げる薄めのテーマで失われ、空想の楽しさは中途半端なキャラクターと妙に理屈っぽい設定によって失われた。

興行的成功を狙ったのならさっきも言ったように鬼滅の刃に惨敗。大人も子供も魅了するという点においてディズニーには勝てない。

そこそこのヒット、そこそこの話題を作りたかったのなら、西野がやりたかったことってコレ?と疑問を抱いてしまう。

 

とまあごちゃごちゃいったわけやけど、明らかに俺が過度に期待をしたのが悪いと思う。肩ひじ張らずに観れば楽しめるのではないかなと思います。

 

エンタメ:☆☆★★★

テーマ :☆☆★★★

バランス:☆☆★★★

好き  :☆★★★★

計 8/20